厚労省副反応検討部会より 中日ドラゴンズ 木下投手と思われる資料

 

 

 

中日は6日、5年目右腕の木下雄介(きのした・ゆうすけ)投手が3日に名古屋市内で死去したと発表した。27歳。大阪市出身。
 
同投手は6月28日、親会社の中日新聞社の職域接種で、新型コロナウイルス1回目のワクチン接種を受けた接種から8日後の事案で、因果関係は不明。
 
 
 
以下、厚労省 資料より抜粋(8716が木下投手と思われます)
 

 

 

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開幕前は好調だった。150キロ近い直球が武器の救援投手として、与田監督の期待も大きかった。だが、3月21日の日本ハムとのオープン戦(バンテリンドーム)で投球した際に右肩を脱臼。選手生命の危機に陥った。だが再びマウンドに上がることを目指して肩と肘の手術を受け「前向きに取り組めている。マウンドに上がれるように頑張る」とリハビリに励んでいた。

何度もはい上がってきた野球人生だった。故障もあって駒大を中退したが、アルバイトしながら生活するなど一度は野球から離れた。だが2年のブランクを経て四国IL・徳島でプレーを再開。無名ながら力のある直球がスカウト陣の目を引き、妻子を連れて16年育成1位で中日に入団した。

18年に支配下登録されると150キロ超の真っすぐを主体に奮闘。元阪神藤川球児氏から「中日の藤川になれる」と期待された。だが、翌19年に父の隆さんを交通事故の巻き添えで亡くす悲報。それでも「妻と子どものために」と立ち上がった。20年の沖縄北谷キャンプでは、与田監督の紹介で野茂英雄氏から直伝フォークを授かるなど、誰もがその将来を嘱望していた。

現役仲間の訃報にナインのショックも計り知れない。与田竜が衝撃と深い悲しみに包まれた。

 

 

 

木下投手の御冥福をお祈り致します。

 

 

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